大黒寺

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京都の伏見にある大黒寺の、伏見寺田屋事件殉難者法要の日にお参りして来ました。

幕末の伏見の寺田屋では、坂本龍馬らが襲われた寺田屋事件が有名ですが、もう1つ、薩摩藩内部での抗争で犠牲者のでた、薩摩藩寺田屋事件もありました。
 
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当時の薩摩藩主の父であり、事実上の指導者であった島津久光は、幕府の滅亡を願う尊皇派から期待されていました。

しかし、実際の島津久光には実は倒幕の意志はなく、幕藩体制の再強化をはかる公武合体の路線を目指していたのです。

期待を裏切られた薩摩藩の過激派は、諸藩の尊皇派の志士と共謀して無理やりにでも蜂起を起こそうとしていました。
 
一方、この動きを噂に聞いた久光は、藩士を説得して抑えようとしましたが止められませんでした。

そこで、もしも蜂起が起きたとき鎮圧するように、剣術に優れた奈良原喜八郎ら9名の藩士を伏見に派遣したのです。

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そして、文久2年(1862年)4月23日のこと。

薩摩藩過激派は、伏見の寺田屋で蜂起のきっかけとして、関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義を襲撃し、その首を持って久光に奉じる計画を立てていました。

その密談の場に、鎮圧を命じられた奈良原喜八郎らが現れ、薩摩藩士同士の激しい斬り合いが始まったのです。

その結果、過激派が鎮圧され、久光は公武合体政策の実現(文久の改革)のため江戸へと向かうこととなりました。

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この騒動で命を落とした薩摩藩過激派の9名の志士たちは「九烈士」と呼ばれ、薩摩藩と親交の深い大黒寺へ葬られたのでした。

当時の大黒寺は薩摩藩の藩邸とも近く、西郷隆盛らとも交流があったそうです。

その殉難者の九烈士の法要を、大黒寺では、毎年5月の第4日曜日に行われています。


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同じ薩摩藩士同士で、顔見知りや知り合いでありながらも戦って殉難者を出してしまったのは、辛く悲しい出来事ですね。


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