班女塚

京都に「班女塚」と言う小さな祠と幾つかの小祠があります。
「宇治拾遺物語」によると、むかしむかし長門前司と言う人に二人の娘がいたが、両親は早くに亡くなったようで二人きりで暮らしていました。
やがて、姉は縁づいて嫁に行きましたが、妹は縁談も無く行く所もないので姉の家で世話になり、そこから宮仕えをしていました。
その妹も28歳くらいに病で亡くなってしまいます。
姉は、妹の亡骸を戸口におき近所の人に手伝ってもらって棺に入れて葬送地に運びましたが、いつの間にか棺から妹の遺体が無くなっています。
遺体を探すと、元の姉の家の戸口に置かれたままになっていて、不思議に思いながらも翌日に再び運びましたが、また遺体は戸口に戻っていました。
人々は気味悪く思いながらも、遺体を棺に収めようとすると今度は遺体が根が生えたように動きません。
これは、妹はここを離れたくないのではと思い、その場に墓を掘ると遺体は楽に収まりました。

姉は、その後に引っ越してしまい、近所の人も気味悪がって離れて行ったので寂れていったそうです。
今では、班女塚として岩と小さな祠が残るだけですが、縁談でこの前を通ると必ず破談になると言われ、縁談の話ではこの塚を避けて通ったとされています。
ちなみに班女と言うのは中国の伝承から付けられた塚の名前で、女性の名前は伝わっていません。
昔は、班女塚の女性の御霊を慰めるために祭りが行われ、裸体の男性が神輿をかついで鎮撫したそうですが、近年は途絶えたままだそうです。
班女塚は、大きな岩の前に小さな祠があるものの、訪れる人も少なそうで、私もたまに訪れると手を合わせて班女塚の寂しさを慰めるようにお話をするようにしています。

なお、班女塚の近くに繁盛神社と言う神社があります。
班女と繁盛をかけた神社で、こちらが班女塚の世話などをされています。
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